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zoom RSS モノ言わぬ民、それは単なる社会的責任の放棄だ!

<<   作成日時 : 2011/08/14 22:20   >>

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 いつからだろう・・・

 日本でデモに行く人達の数が激減し、気軽に「昨日〇〇のデモ行ってきたよ」と気軽に言えない社会になってから。

 しかし、デモは単に国民の当然の表現・言論の自由の行使だけでなく、社会に生きる存在として、また大人として「おかしい事はおかしいぞ!」と意思表示する責任を全うする行為だと思う。

 人は社会的存在であり、社会の中でいきている。

 3・11大震災の際、海外から「日本人は従順で大人しい」という評価をされ、あたかも褒め言葉とされたが、実は単なる社会的責任を放棄し、社会の在り方に対して「どうでもいい」という白紙委任状を示す無責任な大人に過ぎない。 


 大人として社会的責任を常に負っているという認識の欠如は、子供には見せたくない姿勢だ。
 

 一時的に脱原発デモが巻き起こったが、徐々に社会の中から脱原発デモに参加する人数が減少し始め、ネット上でも反・脱原発の声が萎みつつある。

 多分、背景に所詮「何をしても変わらない」という諦めの念があるのだと思う。

 しかし、欧州の国民は違う。

 決して諦めずに意思表示をし続ける。

 ドイツで完全に脱原発が実現したのは、福島東京原発事故だけでは無く、過去から脈々と続いてきた反・脱原発デモがあるからだ。 

 日本でも例外的に祝島の住民は約25年もの長い闘いが続いており、四国電力による上関原発建設は阻止され続けている。

 また、日本では三里塚闘争は約45年以上も続いており、3千m滑走路はいまだ建設を拒み続けている。

 しかし、日本に住む圧倒的大半の人達はデモとは無縁であり、意思表示を単に「一票だけ」に矮小化して考えている。投票行動すらしない人達も多い。


 社会に生きる者として意思表示し、あるべき社会に向けて行動し続ける人達を「プロ市民」と揶揄する連中がいるが、自分はこの「プロ市民」という言葉は大嫌いだ。
 

 逆に無関心な国民は「プロ市民」を称賛の目で見るべきだし、自らが「プロ市民」になるべきだと思う。


 「おかしい事はおかしい!」と社会の不正を糾していく行為は、一社会人としての当然の権利だけでなく、義務だと思う。

 社会人としての義務を全うしてから初めて、大人としての誇りを持てるものだと思う。






 大半の日本国民よ!

 「従順でおとなしい」という評価はサイテーな評価だぞ!
 





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